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↑ブログの内容を分析してカテゴライズするとの触れ込みでしたが…そちらはあまり期待通りになっていないですねぇ。
でも参照されている方が多い様ですので設置を継続します。

【旧東海道】その13 酒匂川の渡しと酒匂橋(その5)


明治29年修正の1/25000地形図(「今昔マップ on the web」より)
併用軌道を走っていた小田原馬車鉄道はこの区間では描かれていない
前回は、明治21年に開業した小田原馬車鉄道と、それに応じた酒匂橋の架け替えのお話でした。今回はその続きということになります。

その後の酒匂橋は、こうしてスポンサーが付いたこともあってか、架橋維持で苦しんだという記事が出て来ません。その点では、これまで六郷橋や馬入橋で見てきた時と同様に、架橋維持には安定した財源を供給出来る存在が必要だったということになりそうです。

他方、馬車鉄道の会社はその後電化を果たし「小田原電気鉄道」となった後、東海道線が熱海方面に伸びるのに合わせて「箱根登山鉄道」として山岳鉄道事業へと特化するという経緯を辿ります。馬車鉄道が電気鉄道に切り替わったのが明治33年(1900年)、流石に電車が渡るとなると馬車以上に橋に重量が掛かることになるため、この時に酒匂橋も再び更新工事を行った様です。従って先代の橋は約8年で更新されたことになります。なお、その時には周辺の各村との契約は基本線では維持された様です。

その社史「箱根登山鉄道のあゆみ」(1978年)にはこの会社が蒙った水害についてこの様に記しています。

電気鉄道にとって、乗合馬車はこわいライバルではあったが、もうひとつ恐しい敵が控えていた。

毎年のように、夏から秋にかけて海嘯および酒匂川・早川の洪水がこの近隣に暴威をふるっていた。小田原電気鉄道においても、特にこの両河川の洪水には馬車鉄道時代以来悩まされ続けていた。

 …

古い記録類の残存が比較的少ない当社ではあるが、この水禍の資料は意外なほど多い。これは、それらの河川の洪水がいかに大きな問題であったかの証左ともいえよう。

記録の数は、明治期だけでもおびただしい。

(上記書57〜58ページ 「7) 水禍」より引用、…は中略)


「一枚の古い写真」酒匂の松並木の下を走る電車
酒匂の松並木の下を走る電車(明治末期頃)
(「一枚の古い写真 小田原近代史の光と影」
小田原市立図書館編より引用)
社史という性質上、それらの記録を網羅的に掲載することは出来なかったのでしょうが、酒匂川と渡河の歴史を追う立場としてはまさにそれらの記録をつぶさに検討してみたいところで、何とか別の形で公開されないものかと思わずにはいられません。他の記録との整合性を考える限りは、恐らくは大破には至らず小規模な修繕に留まったものが多数を占めるのでしょうが、それでもどの様な破損が多かったのかなど、その頃の架橋技術の水準を見る上では参考になるデータが多いのではないかと期待してしまいます。

また、この社史で取り上げられたのは明治35年(1902年)の海嘯(かいしょう)の際の水害の状況と、その2年後の水害の際の事例でした。


ところが、この明治37年の水害の時にはどういう訳か次の様な揉め事になっています。これも引用としては長いですが、状況が伝わり難いので略さずに行きます。

ついで明治37年7月の洪水をみてみよう。

『再昨日来の暴風雨にて東海岸一帯は非常の損害を受けつつあるが、尚各川の出水は一昨日に至りて漸く増大となり、所在水害を蒙れる有様にて、現に境川の如きは沿川各町村等に氾濫せしが、昨日午後に至り馬入川は下流に於て8尺(2.4m)、花水川は9尺(2.7m)、酒匂川は9尺増水し、小田原電車は危険の為め午後4時より運転中止したり。又酒匂川は上流松田付近に於て1尺6寸(3.2m)増水し落ちたる橋梁大小7、馬入川は上流厚木付近に於て増水1丈6尺(4.5m)に上り流失家屋1戸同町全部浸水舟にて往来するに至る。』(「横浜貿易新聞」明治37年7月12日)

この暴風雨により、酒匂橋は相当な被害を受け、小田原電気鉄道のレールも橋の東側で約30m余が屈曲してしまった。電車は橋上を不通になった。

ここに、新しい事態が発生する。この復旧は、ただ橋を、また屈曲した軌条を修復すればよいというものではなかった。

酒匂村では、酒匂大橋を渡橋するのに橋料をそれぞれから徴収していた。電気鉄道でも一括して、それを収めていたわけである。ところがこの洪水被害により、修復は当然酒匂村で負うべきものであったが、一向に修繕に手をつけないのである。そのうえ国府津からの乗客を東橋詰で降ろし、橋上だけ徒歩で渡ってもらうようにすると、その人々から橋料を徴収するといった矛盾を平気で行うのである。小田原電気鉄道にしてみれば二重払い、酒匂村にしてみれば、徒歩渡橋の橋料は当然徴収すべきものであった。しかも復旧工事は依然として開始されない。

『復旧工事は何れより手を出すかの睨合の姿にて、両者の間に何とか折合着かざれば早速には復旧の模様なし。』(「横浜貿易新聞」明治37年7月15日)

そんなわけで、この復旧には随分日数を要したようだ。次いで「小田原電鉄線路酒匂橋の修復終りたるを以て昨日午前5時30分より運転を開始せり」(「横浜貿易新聞」明治37年7月28日)という記事が見られる。この間半月、電車は酒匂大橋を渡れない状態であった。まことに手間がかかったわけである。しかも、現在、そのいきさつはよくわかっていない。このときの暴風雨はとんでもない問題まで持ち込んだのであった。そして酒匂川は、なにかにつけ、悩みの種となっていた。

(上記書同ページより引用、…は中略)

この妙な対立の背景にどんな反目があったのか、この記事だけでは良くわかりません。「小田原市史」もこの件は取り上げていませんが、何か酒匂村側が小田原電気鉄道に対して不満に感じるところがあったのかも知れません。


とは言え、この時も酒匂橋そのものは機能を維持しており、落橋には至っていません。この他に酒匂橋への災害事例がないか、「小田原市史 別編 年表」から、酒匂橋に関連する項目を拾ってみました。これによると、概ね明治40年以降に集中しています。項目の多くは出典を「横浜貿易新報(後の神奈川新聞)」に負っているので、通信手段が今ほどの発達を見る前の時代にあって当時の横浜の新聞が神奈川県西部地区の記事をどれだけ記事にしたか、その粗密の影響もあると思うのですが、被害の大きな河川の増水が明治30年代には若干少ない傾向はあったのかも知れません。
  • 明治40年8月24〜25日:「台風による大雨、酒匂川・早川・山王川を中心に堤防決壊・橋梁流出、浸水被害、9月6日酒匂橋復旧、飯泉橋・富士道橋は流出して県に移管される」※酒匂橋はこの時は流失を免れてはいるものの不通になっています。
  • 明治43年8月7〜8日:「台風による豪雨、各河川にかかる橋はほとんど流出、堤防が決壊し、足柄下郡の損害額は47万円余りとなる
  • 明治44年8月4日:「豪雨により酒匂橋が流出」
  • 明治44年8月9日:「豪雨により酒匂仮橋が流出、小田原町・早川村では浸水被害」
  • 明治45年3月30日:「酒匂橋が竣工、開通式(橋台に小田原市域ではじめて鉄材を使用)」※橋台という表現は不正確。

このうち、明治43〜44年の状況については、「酒匂歴史散歩 第一集」(川瀬速雄氏著、酒匂八区公民館編)にもう少し詳しい記述を見つけました。

⑥明治43年(一九一〇)八月。出水で橋の中央部が墜落、修理された。

⑦明治四十四年(一九一一)七月、大土用浪で海水が酒匂川を逆流木橋一部流失。仮橋を架けたが、八月、豪雨による出水で、仮橋も残っていた木橋も流失。

翌年新橋が開通するまで(八ヶ月間)舟渡しと徒渉ですごした。

父、(明治二十九年生、平成二年卒)の話によると、荷物を担ぎ駄賃稼をした、芋俵一俵二銭、米俵一俵五銭、若者仲間で稼ぎを競い合った、一日一円は稼げなかったと。

(同書2—129ページより引用)


従って、この明治44〜45年は、小田原電気鉄道も同区間で長期にわたって不通となり、折り返し運転対応を余儀なくされていたものと思われます。かなり大きな損害になったと思われるのですが、社史「箱根登山鉄道のあゆみ」にはこの際の途絶について特に何も記されていません。こうした記録があまり表に出ない傾向があるのであれば、小破による短期間の通行途絶は実際はもっと多かったのかも知れません。

何れにせよ、7月の破損箇所を仮橋で何とか急場を凌いでいたところへ再度の水害で全損になってしまい、最早地元負担で架橋を維持するのは体力的に限界だったのでしょうか。

因みに、上記引用中には「舟渡しと徒渉」とあり、皮肉にも江戸時代初期の渡しの形態がこの期に及んで復旧したことになりますね。それだけ深さを増した瀬が戻って来たのでしょう。富士山の宝永大噴火の影響がこの頃には薄れてきたことを示す、興味深い証言だと思います。「その3」で引用した「皇国地誌残稿」でも流路の変遷が収まってきたとする指摘があり、「大日本国誌」の記述中の明治初期の3本の橋の記述を見ても、西側の流路が水深最大6尺と他の2本に比べて深くなっていたことが窺えますので、その後更にこの傾向が強まったことになるでしょう。

明治45年頃の架橋については、既に詳しく調べていらっしゃる方のブログ「自転車放浪記 (足柄縣ブログ)」を拝見しました。酒匂川の水中に残る橋脚と思しき遺構を巡って詳しく考察されています。ここではそれらの一連の記事から代表的なものへのリンクを張っておきます。

国道1号 酒匂橋の歴史 - 自転車放浪記 (足柄縣ブログ) - Yahoo!ブログ


ここに掲載されている「道路の改良」という雑誌の影印から、この明治45年の酒匂川架橋に関する箇所を引用します。この雑誌は大正8年の道路法制定を機に産官学の土木関係者によって結成された「道路改良会」という会の機関誌の様で、現在は土木学会のライブラリーで全号がPDF化されて公開されています

現在の舊橋は去る明治四十三年縣下の大水害の節その災害復舊工事として國庫の補助を受け明治四十五年一月竣成したものであつて、其の總長二百五間三分、幅二十二尺五寸、橋脚は一組杉丸太六本のもの四十一組を以て構成し上にI型鋼六通を架渡し表面板張とせる桁橋である。

(「酒匂橋架換工事報告」神奈川縣技師 桝井照藏、上記誌大正12年第5巻2号115ページより引用)


「一枚の古い写真」酒匂橋を進行する電車
酒匂橋を進行する電車(明治末期)
(「一枚の古い写真」より)
この記事に記された各部の数値から計算すると、42径間で構成されているこの桁橋の場合、1径間平均で約4.9間、ざっと8.8mの径間長をもっていたことになります。以前見た様にこの橋の下を潜る水運の想定は必要ありませんので、航路を確保するために径間を拡げた箇所を設ける想定はされておらず、全径間がほぼ同じ径間長であったと思われます。それでも、この径間長は六郷橋のそれと比べてもいくらか長め、これを支える橋脚がそれぞれ杉丸太6本で組まれていたというのは、在来型の架橋では多い方(隅田川に江戸時代に架かっていた橋は1組3〜4本)で、径間長が長いのとやはり上を電車が通ることもあってそれなりの補強が必要だったということでしょう。これが明治33年の架橋と同等だったかどうかは明記したものが見当たりませんが、酒匂橋の写真として残っているものを比較する限り、径間をあまり変えていない様に見えるので、同等であったと考えて良さそうです。なお、桁が長くなる分、それを受ける部分に様々補強を加えているのが写真から見受けられます。


こうした構造が馬車鉄道が走る以前まで遡った時と比べてどうであったかは不明ですが、恐らくはこれほどの構造ではなかったのではないかと思います。やはり馬車鉄道や電車との併用によってスポンサーが付き、多少のコストアップを吸収出来たから実現できたということは言えるでしょう。酒匂橋がここまでそれ程の大破に遭わず、比較的小さな補修で乗り切ってきた様に見えるのは、寧ろ優秀だった面もあると思いますが、この構造がどこまで酒匂橋の流失防止に貢献したのかは何とも言えません。また、仮に貢献度大であったとするなら、その様な優秀な桁橋を作り続けられた要因を探ってみたいところです。

とは言え、この明治43年以降の毎年の流失は少々度を超えており、この数年の気象が特に酷かったと見るべきなのか、それとも他の要因が絡むのかは、関東南部の他の地域の被害状況なども含めて検証が必要でしょう。何れにせよ、明治33年の橋は架橋後約10年で流失したことになります。必ずしも流失が原因ではなかったものの、ここまでの歴代の酒匂橋の寿命は大体10年程度、この辺が酒匂橋を木造とした場合の寿命の限度だったということになるでしょうか。

上記の「道路の改良」の記事にもある様に、こうした被害の大きさを重く見て、この明治45年の架橋には国の補助を取り付けています。その直前、明治40年の水害の際に流失した飯泉橋は酒匂川のすぐ上流の橋ですが、これが流失と共に県に引き取られていることから、恐らく酒匂橋も明治43年の流失か、遅くとも翌年の流失に際して神奈川県が引き取ったのではないかと思います。丁度馬入橋が橋桁に鉄骨を組み込んだ頃と一致しているためか、この酒匂橋でも橋桁を鉄骨化する設計が採用されました。馬入橋に県予算が下りた以上、酒匂川も同様の対応になっていくことは必定だったでしょうが、昭和43年以降の度重なる流失は単なる偶然だったのか、それとも県の財政執行の後押しになったのか、その辺りは今ひとつどちらとも言えなさそうです。

こうして架橋された酒匂橋も大正に入って早々にコンクリート橋脚の橋に架け替えられるのですが、この辺りから次回に続きます。



追記(2014/01/31):丁度「今昔マップ on the web」に「関東編」が追加され、酒匂川から西側の古い地形図を参照できる様になったので、酒匂橋付近の明治29年の地形図を追加しました。


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