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【旧東海道】その9余談:中島川ガード

前回明治20年に架橋された馬入川橋梁の遺構を何点かお見せしましたが、その東側にもう1箇所、同時期の橋台の遺構が見られる場所があります。今回は息抜きにそちらの写真を何枚かお見せします。

旧東海道:中島川ガード前の道祖神の祠
国道1号線沿いの祠
旧東海道:中島川ガード前の双体道祖神
双体道祖神


中島橋ガードの位置
この遺構が見られるのは右の地図の地点です。馬入橋左岸脇の「新田入口」交差点から東へ100mほど進んだ所で南に折れると、東海道線を潜る道があります。このすぐ先に煉瓦積みの橋台跡が残っています。

その道を曲がる場所の向かいにあって目印になるのが、この道祖神が2体収められた祠です。向かって右の「道祖神」と彫られているものは明治15年の日付が刻まれていました。左の双体道祖神はそれよりは古そうですが、年代を読み取ることは出来ませんでしたので、これが江戸時代からあったものかどうかは不明です。

旧東海道:中島川ガード下り線橋台跡
下り線の橋台跡
この橋台跡は上り線と下り線の間にあります。現在全容を確認出来るのは下り線の橋台のみです。

旧東海道:中島川ガードを正面より見る
橋台跡を正面から見る
一見すると垂直に立っている様にも見えるのですが、良く見ると僅かながら側面に傾斜が付けられていたことがわかります。この傾斜は煉瓦を積む面を僅かに傾けさせることによって実現されています。これによって、橋台は背後の盛土に若干凭せ掛けた状態になっていた訳です。

旧東海道:中島川ガード下り線橋台跡上部
橋台跡の上部
上の方に数十cm奥まった位置に煉瓦が積まれていますが、かつてはこの間に短い鉄橋が置かれていたのでしょう。その部分は煉瓦ではなく石材が置かれてていますが、ごく短い鉄橋であまり大きな荷重が掛からないため、薄めの単純なものになっています。

旧東海道:中島川ガードの削られた煉瓦
拡幅のために削られた煉瓦
現在は車の通行のために多少煉瓦が削られており、図らずも煉瓦積み内部の様子が観察出来る状態になっています。もっとも、これでも車が通るには幅がギリギリで、小型車でも徐行しながら通過していきます。

旧東海道:「中島川ガード」
「中島川ガード」
このガードの名前は「中島ガード」。しかし、現在このガードの下には川はありません。グレーチングなどの遺構があるか探してみましたが見つかりませんでした。暗渠化されている可能性もありますが、完全に埋め立てられている可能性も高そうです。何れにせよ、かつては小さな川があった所を道に転換しているために、幅員が足りなくなっている訳ですね。

旧東海道:中島川ガード上り線橋台跡
上り線の橋台跡
なお、上り線の橋台跡は現在はコンクリート化されたガードの中に埋没しています。完全に垂直に立っているコンクリートに対して、煉瓦積みが若干傾斜していることが、露出している煉瓦の側面の形からも窺えます。

馬入川橋梁の橋台の方はあまり接近して観察出来ておらず、特に側面からの観察が困難なので、同様の傾斜が付けられているかどうかは不明です。ただ、同時期に施工されていることから考えると、同様の技法が用いられている可能性は高いのではないかと思います。

馬入川にせよ中島川にせよ、これらの橋台をJRが撤去せずに残している理由は不明です。明治時代の鉄道建設の遺構として考えているにしては、これといった案内もなく、中には不心得者の落書きを施されてしまっているものもある始末です。しかし、比較的初期の鉄道建設の歴史を考える上で、きちんと観察すれば他にも明らかになることはありそうです。ここまで残してきたものであれば、今後に向けて保存する方向でも良いのではないかと思います。



おまけ:

旧東海道:馬入川橋梁下で陸に上がったオオバンの群れ
高水敷のオオバンの群れ
旧東海道:馬入川橋梁下で飛び立つヒドリガモの群れ
飛び立つヒドリガモの群れ

馬入川橋梁の橋脚跡を撮っている時に、高水敷に多数のオオバンやヒドリガモが群れているのを見掛けました。普段は水面に浮いていることが多い彼らですが、この時は珍しく陸に上がって食事をしていました。あまり人通りがなかったので安心していた様ですが、犬を連れたカップルが寄っていってしまったので、警戒して飛び去ってしまいました。

もうちょっとズームの長いレンズを使いたいところですが、元々遺構を撮りに来るつもりだったので、他のレンズを持って来なかったのが仇になってしまいました…。




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この記事へのコメント

- うにまる - 2013年02月07日 20:52:39

初めておじゃまいたします。
ブログ、ちょくちょく拝見させていただいてはいるのですが、歴史というものにまったく疎く、なかなかコメントするに至りません(^_^;)

今日もおまけ部分へのコメントで恐縮なんですが、オオバンとヒドリが。たくさん陸にあがっていてかびっくりですΣ(・□・;)

ってことをお伝えしたく…。

えぇっと…、地誌とは関係ないコメントでごめんなさい。今後もこちらのブログで、地元、神奈川のことを勉強させていただきたいと思っています。

- kanageohis1964 - 2013年02月07日 21:35:07

こんにちは。コメントありがとうございます。

一応ブログ村の「自然観察」のカテゴリーにも登録している癖に、そっちの方面の記事がほとんど無くて申し訳ないです(汗)。出来ればもうちょっと絡ませたいんですけれど、なかなか上手く絡まないですねぇ。

私もこれを見た時は「おっ!?」と思いました。流石に人気がすると寄って来ない様ですけれど、疎らになる時間帯に上がってきているんでしょうかね。

またよろしくお願いします。

こんばんは - 犬山にゃん太郎 - 2013年02月07日 23:44:07

これも立派な文化遺産だと思うのですが。
拡幅のために削られた煉瓦が、なんだか痛々しく見えます。

うちに近くにもレンガできた狭いのがあったのですが、今は立派なガード下なっておりますわ。

- kanageohis1964 - 2013年02月08日 00:01:23

こんばんは、コメントありがとうございます。

そうなんですよね、この辺の扱いが何とも微妙で、どうしてこうなっているのか良くわからないんですよね。JR側としては必ずしもこれを史跡と考えていないのかも知れないんですが、とすると逆に何で残っているんだろう、とも思います。それで、どっちつかずで置いてあるんだったら、きちんと史跡化した方が良いのにな、と個人的には思う訳です。

因みに、この橋梁跡についてはもう1回本文で取り上げる予定です。

鳥の名前 - ぼん天棒 - 2013年02月09日 05:28:04

お早うございます

ぼん天棒も昨年長崎街道を歩きましたので
楽しみに拝見しています
よく調査されていますね

ムクドリの名前有難うございました
一緒に掲載しているセキレイの名前はセグロかハクセキレイか
分からずに書いています
お願いですが教えて頂けないでしょうか
勝手なお願いですが再度宜しくお願いします

Re: 鳥の名前 - kanageohis1964 - 2013年02月09日 08:12:23

おはようございます。コメントありがとうございました。

お尋ねの鳥の名前についてはぼん天棒さんのブログの方でコメントしました。

ちょっと深入りする記事が多いので、街道歩きという面ではなかなか先に行かないのが玉に瑕ですが(汗)、今後ともよろしくお願いします。

- パパゲーノ - 2013年02月23日 03:06:53

なんとも微妙な削り方ですね。残したい、だけど拡幅もしたい、という葛藤の末の苦肉の策というか(汗) 削られた部分もフランドル積みだったのでしょうか?それにしても、ざっと10センチ以上は削ったように見受けますが、それでも擁壁としての用は果たしているようですね。この手の煉瓦構造物の厚みってどれぐらいあるのだろう、、、と思ったりしながらしばらく写真に見入ってしまいました。

- kanageohis1964 - 2013年02月23日 08:21:52

おはようございます。コメントありがとうございます。

関東大震災の当時の調査報告書には、馬入川橋梁の橋台・橋脚のおおよその図面が載っていました。橋台の場合、線路方向に7本、枕木方向に8本、したがって全部で56本の杙を基礎として打ち込んだ上で、その上に恐らくコンクリートを数十cm流しこんで土台とした様です。だから、奥行き方向には幅方向の8割以上のサイズがあったと見て良いかなと思います。

中島川ガードの場合も多分同じ様な構造だったのではないかと考えると、相当の厚みがあった可能性は高いですね。これを全部撤去してPCコンクリートを打ち直して…というのは却って難しいのでそのままになっているのかも知れません。

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